小暮校舎

 明治15年、前橋市街を遠く離れ、静寂な環境の南勢多郡小暮村に中学校は移転した。

 翌16年、生徒のストライキの責をおって校長内藤耻叟は退き、かわって優れた経済学者である大島貞益が17年校長に就任した。
15年第1回の卒業生を見たが、この小暮時代の卒業生には、大塚保治、鈴木孝雄らが居り、在校した者には鈴木貫太郎がいた。

  この小暮時代、教育史上注目すべきものがいくつかあった。

 一つは、貸費を結局廃して自費生一本としてしまったこと、
 二にはそれと関連して授業料を徴収すること、
 三には教育内容が漢学偏重にすぎるから英学をもっと重んずべしという建議の見られたこと、
 四には兵式体操が正規の時間に入ってくること、
  五には中学がただ一校では不足であるから分校をいくつか設けるべしという意の見られること、
  六には中学校規則がきちんとできあがったことなどであろう。
			
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