学校の沿革

明治10年 9月  前橋市曲輪町に公立中学校を創立し、名付けて東京大学区第17番中学利根川学校と称する。
(1877年)    これをもって本校の創立とする。校長は師範学校長が兼務する。教員数4名、生徒数19名。

明治12年 6月  第1回県会開設と同時に公立中学校を閉鎖して県立中学校を師範学校内に開設し、名付けて
              群馬県中学校と称する。校長は師範学校長が兼務する。修業年限を4ヶ年とする。

明治13年 1月  26日開校式を挙行する。これを以って本校開校記念日とする。

        12月  旧利根川学校校舎に移転し、寄宿舎を竜海院に仮設する。

明治15年 4月  赤城山南麓小暮村所替戸(現在の前橋市富士見町小暮)に校舎、寄宿舎を新築し、移転する。

明治18年 4月  この年修業年限を5ヶ年とする。生徒定員200名。

明治19年 2月  県会は中学校経費の支出を否決する。
              渋川町石坂孫市、石坂四郎平、大竹直四郎、都丸梁香、久留万村小暮秀太郎氏等の尽力にて
              有志の寄付及び授業料により辛うじて県立中学校として存続する。
         9月  中学校令発布に基づき、群馬県尋常中学校と称する。

明治20年 4月  前橋に移り竜海院を仮校舎とする。
        11月  東群馬郡紅雲町分村(現在の紅雲町)に新築移転する。

明治27年 4月  群馬県尋常中学校規則が制定される。教職員数16名、生徒数268名。

明治30年 3月  群馬、甘楽、碓氷、利根、新田、多野の6分校を置く。
         4月  実科を設置する。

明治32年 4月  中学校令改正により群馬県中学校と改称する。本校教員数22名、生徒本科355名、実科81名。

明治33年 4月  3分校(高崎、富岡、太田)独立と共に本校を群馬県前橋中学校と改称する。

明治34年 4月  群馬県立前橋中学校と改称する。

明治45年(大正元年)
         3月  卒業生数1,008名に達する
         4月  生徒定員を600名とする。

昭和 9年 8月  前橋市天川原町(現在の文京町)に新築移転する。
        11月  関東地方陸軍特別大演習に際して天皇陛下本校に行幸。

昭和14年 4月  生徒定員を1,000名(1学年200名)とする。

昭和20年 3月  4・5年生の合同卒業式が行われる。

昭和23年 4月  学制改革により群馬県立前橋高等学校となる。
        10月  私立厩城高等学校を本校定時制課程とする。定時制定員400名。

昭和27年12月  22日不慮の火災により講堂、体育館を除き全校焼失する。

昭和31年 4月  生徒定員を1,200名(1学年8学級400名)とする。

昭和39年 4月  生徒定員を1,350名(1学年9学級450名)とする。

昭和41年 1月  本校構内に前橋第二高等学校設置される。定時制の募集を停止する。

昭和44年 3月  定時制課程廃止となる。

昭和54年 6月  前橋市下沖町321-1に移転する。

平成 9年 4月  生徒定員を960名(1学年8学級320名)とする。
         5月  創立120周年記念赤城夜間登山を実施する。

平成19年10月  開校130周年記念式典を実施する。



卒業生数 旧中学校卒業者数  5,269名
     高等学校卒業者数 29,653名    合計34,922名(平成29年3月31日現在)